2007年4月15日日曜日

消費者なんかいねえんだよ!

僕達は消費者などと呼ばれてしまう。僕はこの呼ばれ方に強い苛立ちを感じてしまう。これはまさに経済学という学問が極めて歪み、ひずみきった学問に過ぎないことを言い表しているからだ。
僕たちがモノを買う場合、その使用価値を考え、いかに有効に活用するべきかを考えて、モノを買って活用する。何故なら使用価値が高いものを購入活用することが、自分の生活を豊かにしてくれるからだ。しかしながら使用価値は一つ一つの商品が持つ固有のものであり、使用する人によっても変化してしまう価値である。このため経済学はこの使用価値を体系内に取り込むことが出来ない。経済学の立場からするのならば、使用価値とは非合理で無秩序な価値に過ぎないのだ。
いわば、自分を豊かにする為の人間の自然な行為を切り捨てることによってしか成り立たない歪んだ学問、これが経済学の本質の一面であることは確かだろう。だから経済学は僕たちを消費者などとと呼ぶことしか出来ないのである。
今、もう決して消費者などと呼ぶにふさわしくなく、使用者や活用者と呼ばれるべき存在を元気にしてしてくれるツールが生み出された。それがインターネットである。かつて僕達は恐ろしく短い時間で気分や雰囲気を垂れ流すテレビCMによって踊らされる弱々しい消費者に過ぎなかった。しかし、今は違う。ブログで自分が見付けた使用価値が高い商品を自慢することが出来るようになった。他の人はその自慢を見付けて細かい質問まで出来るように成っている。価格.comでは単に値段の安さの比較に止まらず、口コミレビューを付けることによって、その商品の使用価値を実際に使用し詳しい人たちから答えを聞けるようになった。価格.comの口コミレビューの中には、相当に良心的で相当にその商品や関連情報に詳しい人たちが、企業論理とは別の形でそこに住み着いているようだ。いわば、使用価値の力がネットによってどんどん高まり強くなってきているのである。
この影響はどうも作り手である企業側に影響を及ぼし始めているようだ。どう売るべきかより、いかに使用価値を高めたモノづくりをすべきか、という問題に向き合い直面する必要性が高まっていることを企業側も理解し始めているように見える。
金融や資本は今、企業に対し『利潤を追求せよ、社会規模を増大させよ』と合理的?な経済学の論理を背景にしつこく追及し続けている。けれどそんなことをやっていたら、企業は『使用価値を高めたモノづくり』で敗北してまいかねない状況がどんどん育ってきているのだ。
僕達は消費者などでは無い。すぐれた使用価値の製品を有効活用する活用者なのだ。僕達はネットを利用し、消費者からすぐれた使用価値を活用する活用者という存在へと生まれ変わってきている。
さあ、金融や資本たちよ、経済学が切り捨ててしか成り立たなかった、不合理とレッテル付けするしかなかった使用揚価値の力がどんどん育ってるんだぜ!いっておく、不合理なのは僕たちではない。使用価値を思考することが出来ないお前たちが依存するその歪んだ学問なのだ。