2007年3月31日土曜日

持ち合い保険

当社、三井菱UFOさくらりそそ銀行は企業防衛に最も優れた株の持ち合いによる防衛手法に大きな価値と意義を見出し、この手法を世界中のより多くの企業のためによりよく活用していただくために「持ち合い保険」創設いたしました。
株の持ち合いは、複数の企業で55パーセント以上の株を持ち合って、敵対的買収などを退けるものですが、こういった手法が一般株主が知らぬうちに行われていたことが大きな問題だと思います。こういった株の持ち合いに至る行程を全て公開し、一般株主様にも決して迷惑をかけず、むしろ市場価格より高めに購入させて頂き、複数の企業で55パーセント以上の株の持合い状態を形成いたします。そしてこの株の持ち合い状態が長期的に継続させえるよう様々なサービスを行うものが、「持ち合い保険」でございます。
例えば持ち合いを行っている、お仲間の企業が業績悪化して株価が下がったときなど、一緒に被害をこうむってしまいます。こういった被害を保険によってまかなうという訳でございます。その他、株の持合によって企業様がこうむる被害をすべてこの保険によってまかなわせて頂きます。
また、株式会社からLLP(有限事業組合)への移行を希望するお客様には積極的に支援すると共に、LLPとなっても積極的にご融資させていただくことも約束させていただきます。

この株の持ち合いはコーポレートガバメントが働きにくくなるとお考えになる企業様にはオプションとして強力な監査システムを提供いたします。
監査人は世界中にいる最も倫理的にして金に欲に惑わされない多数の宗教者の御協力をお願いしてあります。キリスト教の聖人、イスラム教の聖者、仏教の僧侶などなど、一つの宗教にとらわれず、優れた倫理人を選出しております。彼ら倫理人が監査するシステムなのです。倫理観は競争原理によって有効に培うことが出来ません。的確に倫理観をはぐくむのは、競争原理などではなく、自己鍛錬であり人として修行しようとする意識なのです。強い自己鍛錬の意識によって培われた優秀な倫理人を監査人として私たちは提供いたします。監査方法は多重にかけたとしても欲にまみれた人間たちの集団ならば、買収されてしまい。有効な意味を持ちません。多重化させても、倫理観など無くて良い、欲を肥大化させて「神の見えざる手」に任せればよいと考える方法では、買収されてしまい無駄なのです。監査とはシステムによって創ることが不可能なものであり、競争原理とは異なった自己鍛錬や修行の意識によって倫理的人格が存在することが絶対に必要不可欠なのです。最も優れた監査とは絶対に欲に惑わされない優れて倫理的な人格によってしか防ぐことが出来ないと当社は考えております。
このオプション名ですか?
「あるんだかないんだか分からん『神の見えざる手』みたいなあぶねえものに頼れるかよ!こちとら修行で培った倫理じゃい」
でございます。

2007年3月25日日曜日

人材が不足する日本

まあ、経済学に関する色んな本を読んでみた。僕なりに構造改革で確実に間違っていると感じるのは、日本は確実に人材不足になるにも関わらず、その対策が余りに弱いという点だ。
僕は建築の職人なんだけど、この点は凄く強く感じる。
建築業界は不況なのに人が余っていると批判されたが、それは確実に違う。いや、設計や監督など上部の存在は確かに人が余っているとも言えるのかも知れないが、現場の職人レベルでは確実に違う。ちょっと解説しよう。
不況になって10人の職人を抱える施工業者が潰れたとしよう。親方はサラ金、闇金においこまれて、自殺して保険で多少のお金を返した後、残るのは9人の職人である。9人の職人は仕事をしないと死ぬので、3人は他の仕事に着いて、6人は独立して一人親方になる。いっくら建築の職人と言っても実際一人ではさすがに仕事が出来ないから、嫁を経理にして、銀行でリストラをくらってプーをしてる従兄弟を手元として引っ張ってくる。これで、会社の数は6倍に増えて、人手は倍近くに増える。そして実際に出来る仕事の量は素人が混ざるので確実に半分以下になり、利益は3分の1以下になるだろう。こういう風に内容がボロボロになって増えた会社数と人手を、経済学者どもは叩きに叩き続けていた。
実際、現在、まともな職人は確実に減っている。まともな職人が減っているにも関わらず、経済学者様は建築業界を叩きまくるから、工期短縮やらが横行し、例の偽装事件が起こる。作る手が無いにも関わらず、「安くしろ!安くしろ!」の大合唱。人手が余ってりゃ競争原理も働くかも知れないが、人手が足りないのに競争原理なんか働くはずが無い。だから、建築業界の上部がいかさまするしか無いのは当たり前ジャン。あの偽装事件は現実をキチンと見ない経済学者様が作り上げた事件なのだ。
建築業界の上部は確かに無駄があるのかも知れないが、施工業者(職人)レベルは完全に人手が足りない。正直うちの会社は今、仕事をどう断るかに苦労している。当然パープーな職人くんたちですので、合理的になど動かず、義理と人情で動いちゃってるけどね。ようは義理がある監督の仕事を優先してる訳ね。
正直これから、日本は確実に人手不足が極めて広範囲に広がっていくだろう。団塊の大量退職、少子化現象、確実にそれは起こるね。人をパートや派遣で低賃金で働かせようなんて・・・・・甘すぎますよ。特に職人のような3K職は完全に人材不足が明らかに噴出するはずだ。競争原理なんか絶対働かない、だって人手が足りないんだもの、絶対無理だって、経済学者様よ、さあどうしましょう。

2007年3月11日日曜日

経済人という存在

標準的な経済学では普通の人はみんな「経済人」であると考えて理論を組み立てるらしい。
この経済人というのがすごい。
『経済人というのは超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益を追求し、そのためには自分を完全にコントロールして短期的だけでなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である』
というものだが、こういった定義は経済的モデルを考察する際に経済学者たちが普通の人々がこうなっていると考えやすいからに過ぎない。

しかしながら、もし全ての人間がもしこうだとすると、確かに市場に全てをゆだねることが一番良い。
けれどこれだと株で大もうけなんてことは決して起こらない。
なぜなら、経済人同士の取引なのだから、株価は適切な価格で必要なとき上下する。
ファンドが乱高下する中でうまく売り抜けして利益を出すなんて現象はまったく起こりえないのだ。
株で儲けるや、バブルの発生や崩壊も起こらない。
当然信じがたいほどの大量のドルが無駄に流通し続けるなんて現象も起こるはずがない。

証券会社は子供たちに金融教育の重要さを説こうとする。金融を正しく学ぶことは市場の安定のために重要だからというのかもしれないが、それって、この「経済人」になりましょう、または近づきましょうって話では無いだろうか?
経済学に強いやつが偉くて(勝ち組)経済学に弱いやつがバカ(負け組)っていうだけの話なんじゃないだろうか?
確かに私の知り合いで自殺した3人は確かに「経済人」では無かったよ。そのうちの一人は自分で「経済人」気取りをしていたけどね。
今の経済学ってそんなに偉いのだろうか?

人々の動きを、この「経済人」という定義ではなく考えようとする経済学が新たに考え出され始めている。
その入門書的存在が『行動経済学』という本だ。「人は限定合理的に行動する」という心理学や行動学の要素を入れて経済学を訂正しようという試みである。まだまだ生まれたばかりの若い学問ではあるが、発展していけば現在の経済学の矛盾を訂正できるかもしれない。
ただし、この本は僕が上に展開したような現在の経済学に悪質にカラむような内容は無い(笑)。ちゃんと全うな学問の本なので是非読んで欲しい。

2007年3月7日水曜日

リバタリアンという存在

構造改革が現在出版界で激しく批判されている状況を書いた。その構造改革に大きな影響を与えたのが、米国の右派であり、その米国の右派をネオリベラルとして批判するのが現在のブームだ。その米国の右派に影響を与えた一群の思想家たちがリバタリアンと呼ばれる人々だ。まあ批判されている構造改革に直接では無いにせよ間接的に影響を与えている。
そのリバタリアンの思想を入門書的にまとめた本が『自由はどこまで可能か』である。正直この本は面白かった。その題名のとうり自由の追求はどこまで可能かを追求しようとする思想家たちのその基本的な筋道を伝えてくれる。自由の国アメリカだからこそ発生出来た思想だろう。今の日本の実情に本当に必要とされる思想であるのかという検討は明らかに必要だが、ひとつの思想運動としては高く評価できる。
リバタリアンとは個人の最大限の自由を尊重するためにはいかにあるべきかを考える。その結果が経済的自由の尊重(税金を最小限に抑える)と個人的自由の尊重の両面を重視する。この結果導かれる政治形態は小さな政府で市場原理の尊重となるのだ。故にほとんど全ての政策機能を民間化(市場化)しようとするのだ。理論的整合性は確かにとれている。
だが、僕は二つの問題点を感じた。基本原則となる政策機能の市場化が本当に合理的なのか?という問題、この点の絶対にそうであるという説得力が低いのだ。少なくとも命題と成る経済的自由の尊重を行えるのかもしれないが・・・・
もう一つはこの思想は非常にアメリカ的な思想であり、アメリカという風土にはとてもマッチした思想であるがこれを他国に薦める必要があるのか?という点である。

この二つの問題は今後もちょっと拘って書き込みたいと思う。
でもリバタリアンという存在は現在の日本においても決して無視できる思想や存在でないことは明らかだ。
著者が同じ『リバタリアニズム読本』も良著でお勧めできる本。

でも蔵研也氏の『リバタリアン宣言』はアナルコキャピタリズム(無政府資本主義)を狙った本だけどちょっと本人の思考の未熟さがもろ出てしまっている。
無政府資本主義を実現する具体的な手段が、お金儲けに成功して複数の国に家を持って所得税を払わないで暮らす「PT」を肯定あるいは賛美するじゃ、いっくらなんでも問題が多すぎると思います(笑)。