2007年3月7日水曜日

リバタリアンという存在

構造改革が現在出版界で激しく批判されている状況を書いた。その構造改革に大きな影響を与えたのが、米国の右派であり、その米国の右派をネオリベラルとして批判するのが現在のブームだ。その米国の右派に影響を与えた一群の思想家たちがリバタリアンと呼ばれる人々だ。まあ批判されている構造改革に直接では無いにせよ間接的に影響を与えている。
そのリバタリアンの思想を入門書的にまとめた本が『自由はどこまで可能か』である。正直この本は面白かった。その題名のとうり自由の追求はどこまで可能かを追求しようとする思想家たちのその基本的な筋道を伝えてくれる。自由の国アメリカだからこそ発生出来た思想だろう。今の日本の実情に本当に必要とされる思想であるのかという検討は明らかに必要だが、ひとつの思想運動としては高く評価できる。
リバタリアンとは個人の最大限の自由を尊重するためにはいかにあるべきかを考える。その結果が経済的自由の尊重(税金を最小限に抑える)と個人的自由の尊重の両面を重視する。この結果導かれる政治形態は小さな政府で市場原理の尊重となるのだ。故にほとんど全ての政策機能を民間化(市場化)しようとするのだ。理論的整合性は確かにとれている。
だが、僕は二つの問題点を感じた。基本原則となる政策機能の市場化が本当に合理的なのか?という問題、この点の絶対にそうであるという説得力が低いのだ。少なくとも命題と成る経済的自由の尊重を行えるのかもしれないが・・・・
もう一つはこの思想は非常にアメリカ的な思想であり、アメリカという風土にはとてもマッチした思想であるがこれを他国に薦める必要があるのか?という点である。

この二つの問題は今後もちょっと拘って書き込みたいと思う。
でもリバタリアンという存在は現在の日本においても決して無視できる思想や存在でないことは明らかだ。
著者が同じ『リバタリアニズム読本』も良著でお勧めできる本。

でも蔵研也氏の『リバタリアン宣言』はアナルコキャピタリズム(無政府資本主義)を狙った本だけどちょっと本人の思考の未熟さがもろ出てしまっている。
無政府資本主義を実現する具体的な手段が、お金儲けに成功して複数の国に家を持って所得税を払わないで暮らす「PT」を肯定あるいは賛美するじゃ、いっくらなんでも問題が多すぎると思います(笑)。

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